ぼくの家は犬を飼っている。「吟」っていう、ポメラニアンの女の子。本当は違う名前をママは考えていたみたいだけど、パパが勝手に決めてしまった。
パパは本当に最低だ。最初は「犬を飼うなんて反対だ」とか言っていたくせに、ペットショップで抱っこした瞬間に気持ちがコロッと変わってしまった。大人って本当に勝手な生き物だ……いや、勝手なのはパパだけか。だからなんだけど、白状すると、ぼくはパパが嫌いだ。
多分、ママもパパのことが好きじゃない。「お風呂に入るまで、半径1メートルより近寄らないで」と、パパが仕事から帰ってくるたび、口酸っぱくして躾けている。
そんなに嫌なら、どうして結婚したんだろう。そう思うけど、ぼくの推測では多分、パパは毎日お風呂掃除するから、ギリギリのところでママに捨てられてないのだと思う。
でもーーこれは本当に不思議な話なんだけどーーどうしてかな、吟ちゃんだけは、パパが好きだ。
「ペットショップから引き取って、車に連れて行くと吟はとても不安がっていた。だから、パパは吟が疲れて寝付くまで、30分は車の中で自由にほっぺをペロペロさせてやったんだ。だから、好かれて当然なのさ」
パパはそう言うけど、そんなことってあるのかな。と、実はぼくはパパを疑っている。ぼくの予想はこうだ。パパはきっと皆んなが寝静まった後、こっそり吟ちゃんにあのおやつをあげている。りんごを乾燥させた、ママが「紅茶との相性抜群」って太鼓判を押す、あのおやつ。絶対そうに決まっている。だから、パパが「吟!」って呼ぶと、吟ちゃんはどんな状況でも、一回後ろにのけぞって、勢いをつけてからパパに向かって走り出す。しっぽはヘリコプターみたいにグルングルンだ。
ぼくが呼んでも、ママが呼んでも、吟ちゃんは首を傾げるだけなのに、パパが呼ぶと尻尾を振って走り出す。それはそれだかわいいけど、でも、やっぱり少し悔しいよね。
そんな吟ちゃんとの暮らしが始まって、およそ半年くらいした冬だった。パパとママが、女性のファッションについて話していた。今年のコートは何色がいいとか、靴はブーツはやめておこうとか。
その間、吟ちゃんはソファーの上で寝そべっていた。でも、パパとママがレギンスの話を始めたとき、吟ちゃんはピン!と起き上がって、お座りしたかと思ったらパパの足元にすっ飛んで行った。
「どうした、吟」パパが嬉しそうに言った。「そうかそうか、お前も女の子だから、レギンスを履いてお洒落したいか」
すると、ママが言った。
「違うでしょ。レ”ギン”ス。あなたに呼ばれたのと勘違いしたのよ。あぁ可哀想、用もないのに呼ばれて」
そんな吟ちゃんは、ママの口ぶりに併せるように、右に左にと、何度も首を傾げていた。
パパはちょっと寂しそうな顔をしていた。でも、パパのことだ。きっとみんなが寝た後、今日もこっそりあのおやつをあげるんだろう。ずるいよ、パパ。ぼくだって、吟ちゃんにあげたいな。